
以前から書いてみたかったのが私自身の格闘技観戦の歴史です。時に感動し、時に衝撃を受け、笑い、泣き、怒り・・・そんな様々な出来事が連なって10数年見続けてるわけで。
不定期的にこんなPLAY BACKをしていきたいと思います。みなさんも思い返していただいたら幸いです。
で、第1回はK−1で行こうと思います。「修斗じゃないの?」修斗はいいんです、どうせこれから腐るほど修斗ネタでますから(笑)
今でこそ文句・罵詈雑言の対象になっていますが、2000年前半くらいまでは本当に決戦の名にふさわしい激闘オンパレードの素晴らしいイベントだったと思う。その中でも私が印象深いのはなんといっても93年、そう、今回は1993年 第1回K―1 GPをPLAY BACK。
そもそも第1回K−1はフジTVの「LIVE UFO」とかいう企画の1イベントの中に組み込まれたものだったと思う。K−1というタイトルも空手、カンフー、キックなど立ち技格闘技の頭文字から生まれたものだが、どうみてもF−1のパクリでしっくりこなかった。まさか10数年後にはここまで日本国民に浸透したイベントになるとは・・・
Kの母体である正道会館は当時、様々な格闘技イベントに関わり暗中模索していた。ニールセン、W・ウイリアムスといったプロレスラーと異種格闘技戦を行なった格闘技選手らと佐竹を対戦させたり、リングスに選手を派遣したり、格闘技オリンピックなどというイベントにも関わったり、自身の空手トーナメントでグローブ空手も行なったりしていたが、私は正道会館が関わるキック大会が嫌いだった。佐竹のデビュー戦ではフィニッシュ直前の頭突きを抗議されても不問にしたり、大物選手との対戦では判定に持ち込めば引き分けになるルールで強引な実績作りをしていたのがどうにも気に入らなかった。
佐竹を日本人エースとして大会開催にこぎつけた第1回大会。本命はピーター・アーツ、対抗モーリス・スミス、それに続くのが佐竹とムエタイのチャンプア・ゲッソンリットという感じだった。当時キックヘビー級界に長いことトップに立ち続けたモーリスを前年KOで下し20歳にしてすでに事実上ヘビー級のトップと認められていたアーツ。敗れたとはいえモーリスは実績面では参加選手中でズバ抜けており、以前佐竹を試合内容で圧倒していることもあってこの2人は別格と見られていた。とはいえやはり日本開催ということで佐竹をなんとか決勝に進ませたいという思惑があってか、この強豪2人とは別ブロック。1回戦はアメフト上がりのローカル王者だし、準決勝はムエタイでは最重量とはいえせいぜい80キロ台のチャンプアとすでにピークは過ぎたように見える無名のクロアチア人だった。
反対のブロックではモーリスは初戦で代打出場の後川、アーツも日本では無名に近いベテランとの対戦。順当にいけばモーリスとアーツの再戦が濃厚で、そこで消耗してくれればブロック的に楽な佐竹が勝負になるかも?という感じだった。私自身も大概の格闘技ファンもそう思っていたと思う。ところが・・・
思わぬ大波乱を起こしたのは前の文に書いた「無名のクロアチア人」と「無名に近いベテラン」だった。「伝説の拳」ブランコ・シカティックと「ミスターパーフェクト」アーネストホーストだ。
1回戦、チャンプアと対戦したシカティック。1Rいつものようにチャンプアが代名詞ともいわれる左ミドルを連発。手数がでないシカティックを見て「こりゃ、ロートル呼んじゃったな」と感じて間もなくシカティックの豪腕が炸裂!文字通り1発で勝負を決めた。続く佐竹戦でも手数こそロー主体の佐竹が多く見えたが、徐々にタイミングが合いはじめると一気に爆発。重いフックを叩き込み、主催者の思惑むなしく佐竹を沈め決勝に駒を進めた。
すでに38歳と選手としては峠を過ぎ、風貌もさえなく体こそ大きいが見栄えがするわけでもないこのクロアチア人は「妖気」という表現が似合う妖しい目つきと、1撃必殺の両腕を携えていた。基本的にパンチャーなのだが当時ボクシングスタイルのヘビー級トップファイターはほとんどいなかった。この大会を怪我で欠場したスタン・ザ・マンが上位陣唯一のパンチを売りにしたファイターだったが、彼も含めこういったファイターはローキックの防御に難があった。シカティックはけっして華麗な選手ではない。むしろ不器用な分類に入ると思う。パンチャーといっても卓越したパンチ技術はなく、「当たれば倒れる」を地でいく1発にかける選手で序盤は手数を減らし、あえて打たせて相手の打ち終わりのタイミングを探り、中盤、1撃攻勢をかける「肉を切らせて骨を絶つ」戦法だった。年齢的にスタミナに心配があり、フットワークも極力使わず、攻撃面にのみ体力をつぎ込むギャンブル性の強い闘い方。キャリア末期に来たラストチャンスだけに肝の据わり方が他の選手とは違うようだった。
シカティック以上に私の印象に残ったのはホーストだった。今思えばブロック的に楽なAブロックとは違い、本命、対抗が残るBは激戦地。しかも1回戦は本命アーツだけに誰もがアーツの順当勝ちを予想していた。ところがオランダ伝統ともいえる対角線コンビネーションを使いこなし打ち終わりに必ずローを叩き込むテクニシャンで老獪なホーストの動きに若く血気盛んなアーツは翻弄される。相手のペースに巻き込まれなかなか思うような展開にできないアーツは焦らせられていく。ラストラウンドにフラッシュ気味のダウンを奪うがこれはノーダウン。最後まで自分の術中にはめたホーストが今大会最大の番狂わせを演じる。番狂わせはこれだけではない。準決の帝王・モーリスとの対戦ではテクニックで圧倒。最後はK−1初期のホーストの代名詞とも言える「首に巻きつく左ハイキック」でモーリスを失神させ、キック界2大巨頭を下し決勝に駒を進めた。
ホーストの闘いに私は魅了された。ロブ・カーマンのようなテクニカルなコンビネーション。長身でありながらしなやかな足技。何よりタイプの違うトップファイターを質の違う戦法で下す引き出しの多さは完成されたキックボクサーそのものだった。私は当時も今もそれほどキックに詳しいわけじゃないし、特に当時などそれこそ専門誌やわずかに手に入るビデオでしか選手の情報は入ってこない中、洗練されたヘビー級のキックボクサーを見たことがなかった。アーツも当時はまだ若く力任せな印象があったし。そんな中ホーストははじめて見る「理にかなった」テクニックを展開するヘビー級戦士でありその出会いは感動的だった。
伏兵同士の決勝はシカティックが3たび豪腕を振るい3連続KOで最初のK−1王者となった。まったくの予想外の結果となったが内容的には大成功だったといっていいはず。元々佐竹やアーツにしても一般的な知名度はないに等しい状況。衝撃的なKOシーンの連続で会場は沸き、誰が勝つということより「1DAYトーナメントの妙味」というのが伝わった。近代格闘技において1DAYトーナメントは時代に逆行したイベントと私は思うが、「お茶の間に伝わりやすい」格闘技として−1の残した功績は大きいとは思う。第1回K−1GPはそんな後のK−1成功の要素を凝縮させるような内容だったとして記憶に残ってる。
ちなみに当時K−1は関東ローカルのみの放送だったはず。当時仙台住んでいた私はわざわざ東京に住む兄に頼んでビデオ録画してもらったものだ。ビデオが届くまで新聞も読まずただ兄の「えらいことになったぞ」という言葉だけが引っかかって小包を待った。格闘技がTVで見れることが特別だった時代の話・・・